CAI

鈴木涼子 Body Letter

Ryoko Suzuki [Body Letter]

会期 2023年9月23日(土) – 10月22日(日)
休館日 月曜・火曜
時間 13:00 – 19:00
会場 CAI03 札幌市中央区南14条西6丁目6-3
テキスト 笠原美智子(石橋財団アーティゾン美術館副館長)
翻訳 北丸雄二
主催 CAI現代芸術研究所/CAI03

CAI03では、ジェンダーやセクシャリティなどをテーマに自意識や人間の欲望、社会の歪みに焦点をあてた作品を制作する鈴木涼子の個展を開催します。今回、石橋財団アーティゾン美術館副館長の笠原美智子氏に今回の個展に向けて執筆頂きました。

 

鈴木涼子の《Body Letter》
笠原美智子(石橋財団アーティゾン美術館副館長)

 2022年2月24日にロシアがウクライナに軍事侵攻を開始して以来、「戦争」がわたしたちの日常を侵食している。「戦争」がなかったわけではない。むしろ20世紀は戦争の世紀であり、アフガニスタン、シリアやリビアや、イエメン、ミャンマーの内戦、クルドへ人の攻撃、等々、21世紀になっても絶え間ない。しかし生々しい情報と映像がこれほどまでに長期間伝えられることはなかった。為政者が大量破壊兵器、暴力によってなん百、何千、何万の市民を殺し、命を繋ぐインフラや生活の場を破壊している醜悪な様をメディアを通じてほぼオンタイムで見せられている。世界中の人々の前でこのような暴挙が繰り広げられているのに、どうして止められないのか、手を拱いているのか、憤慨と無力感に苛まれている人は多いのだろう。

 

鈴木涼子もそのひとりである。1990年代半ばから作品を発表し続けている長いキャリアのなかで、彼女は常に自分の日常生活や記憶、家族の関係など、地に足をつけた揺るぎない視点から作品をものしてきた。例えば初期の代表作《自慰》(1999年)では、自分の顔にシリコンを被せてそこに僅かな黴を加える動作を繰り返すことで、その静かな表情にほんのわずかな不安の影と居心地の悪さを表した。それは現代を生きる多く女性が漠然と抱いている名づけがたい不安と共鳴する。

鈴木涼子の新作は彼女が積み重ねてきた作家としての手法と経験を存分に生かした、この戦争に対する心からのきっぱりとした抗議表明である。

彼女は以下のように記している。「(戦争では)いつも女性や子供など弱い立場の人間は、歴史にも刻まれず苦労して涙を流している現実を、今、作品にしなくては…と思いこのシリーズを始めることにしました」。

まず彼女は、家族の中で戦争を直接経験している父方の祖父母の記憶・記録をたどる作業にとりかかった。祖父といっても直接あったことはなく、祖母や父の話の中にだけ存在した「祖父」である。軍医として満州に渡っていた祖父は、戦況の悪化による医者不足を理由に本土に呼び戻され、幼い子供4人と妻が満州に残されることとなった。敗戦後、苦労して引き上げた祖母を待っていたのは、祖父の死と、遺品となった軍隊手帳だった。

鈴木涼子は一貫して自分の身体をキャンバスに作品を制作してきた。《Body Letter》と題されたこの新作でも自分の背中に祖父の軍隊手帳を投影し、手帳がゆっくり一枚一枚捲られる。

軍隊手帖/Army Diary          

昭和二十年八月十五日十二時
無条件降伏、、
日本は敗れた
我々は今敗戦の暗澹たる運命の渦巻の底に
沈むまで沈まねばならぬ

僕の生命イチ子
貴女の死は僕の死だ。貴女の生は僕の生だ。
貴女の生命の終わった時は 僕の生命も終わる時だと考えたとき 
貴女の安否に対しても静かに時を待つ気持ちになれた、、、、、、、、でも 
長い間苦労をかけ通した貴女のことを考えると 
もう一度貴女に逢って感謝とお詫びの言葉が言いたい。
貴女は本当に良い妻だった。(この地球上に二人とない)
戦いで何もかにも失い尽くしても 貴女が僕の妻だったことだけで満足だ
昭和20年9月5日

祈. イチ子並子供達の無事安全、、
必ず安全だ信じて待つ、、時を待つ

 祖父が軍隊手帳に綴ったのは、妻への熱烈なラブレターだった。自分の死を予感してか、ただただもう一度会いたいという切なる思いと、それができそうにない妻へのすまなさと悔恨の念が滲んでいる。鈴木涼子の祖父、鈴木三七男は再び妻や子供達に会うことなく、この言葉を残してわずか38日後、昭和20年10月13日に亡くなった。享年42歳だった。死因は栄養失調と心労がたたったのではなかったかという。 
 

 祖母はぽつんぽつんと祖父や満州のことを語っていたという。満州から引き揚げてくるときは、ロシア兵に襲われないように髪を丸刈りにしたこと。遺品として残された祖父のぼろぼろの靴について、引き揚げ船が入港するという噂を聞くたび遠く港まで見に行ってすり減ったんだろうと言っていたこと。幼かった父が覚えていたのは、奪った腕時計をじゃらじゃらと腕にはめていたロシア兵の姿だった。その父も70歳を過ぎて全盲となり認知症となった。作品では父と娘が指相撲をしている。指相撲は苦労して編み出した父とのコミュニケーション手段である。この映像が撮影された数時間後、彼女の父は息を引き取った。87歳だった。また会場には祖母が愛した「能」をテーマにしたインスタレーションが展示されている。

 そして、もうひとつの画面には屈託ない笑顔やはにかみの笑みを浮かべるヌードのモデルが写っている。しかしそこに貼り付けられているのはネットに流出されているウクライナの写真や、モデルとなった人たちの親族が関わった戦争の写真である。

戦争は今あるわたしたち自身に関わり合っている。日常生活に侵入した大量の「戦争」のイメージによって、今、わたしたちは戦争の空気に馴らされてしまっている。だからこそ、長く抵抗を示していた軍事費の増強や武器の輸出という高いハードルすら、たいした議論や抗議もなく、なんなく超えてしまった。不穏な事態を受け入れやすくするために戦争の空気に馴らされるということは、今の状況をわたしたちがしかたがないこととして受け入れて、未来の戦争への用意をしていることだ。多分それが一番、おそろしい。

戦争の準備をするよりも止めること、どこか他人事のような戦争のイメージを受け入れるのではなく、肉体も心も血を流す戦争の現実を伝えること、鈴木涼子の作品は、そうした空気への抗いの表明である。

 

鈴木涼子 Ryoko Suzuki (japanese,b.1970)

北海道札幌市在住。2007年文化庁の新進芸術家海外研修員としてドイツで1年間研修。ジェンダーやセクシャリティなどをテーマに、自意識や人間の欲望、社会の歪みに焦点をあてた作品を制作している。「上海ビエンナーレ」(上海美術館、 2004)や「グローバル・フェミニズム展」(ブルックリン美術館/NY/2007年)、「The Women Behind展」(Museum on the Seam/エルサレム/イスラエル)などの国際展にも多数参加。代表作である「Bind」(自身の体を自らの血を浸した豚の皮紐で縛り上げ、抑圧されて来た女性像をシンプルに告発したシリーズ)は、未だジェンダーギャップ指数の低い日本社会を端的に表現した作品として、各開催美術館の所蔵になるなどその作品は国際的にも高い評価を得ている。www.ryokobo.com

作品収蔵
東京都写真美術館、 北海道立近代美術館 、東川町、Mint Museum in North Carolina 、Museum at American University、上海美術館、The Art gallery University of Maryland

オープニングトーク
鈴木涼子+ゲスト古川有子氏(北海道新聞文化部)

9/23 Sat PM4:00-
会場|CAI03

ARTISTS

  • 鈴木涼子

    Ryoko SUZUKI