CAI

是恒さくら「潜る眸」

会期 2022年2月22日(火) – 3月19日(土)
休館日 日曜・月曜・祝日
時間 13:00 – 19:00
会場 CAI03 札幌市中央区南14条西6丁目6-3
主催 CAI現代芸術研究所/CAI03
協力|四方幸子(インディペンデントキュレーター、批評家)、国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)、一般社団法人3710Lab
プロジェクト:KR21-ll

Photo 佐藤祐治

 

潜る眸 —  自然と社会が絡まり合う生態系の深層へ

 階段を降りると、白い壁面に藍染が際立つ刺繍作品が展示されている。是恒が数年来各地を訪れ展開してきた「ありふれたくじら」の、宮城県以降のものである。向かいの空間も刺繍作品で、赤白の布製のブックカバーと天井から床へ渡した布で構成されている。前者はNYのロングアイランド、後者は宮城県と和歌山県太地町のフィールドワークに由来するという。
 左隣の空間の中央には、半透明な地に刺繍がなされた本のような形態が中央に自立し、右の壁に数点の写真、左の壁にはドローイングが3点並ぶ。刺繍は宮城県の縄文貝塚で出土した鯨骨で、写真は鯨の顎骨が神社の鳥居や墓標として立てられた国内外の浜辺の風景である。是恒は「鯨によって人がその風景を見せられる」と言う。人々に顎骨を立てさせているのは、実は鯨なのではないのではと。「ありふれたくじら」で複数の地に赴く中、是恒は、各地での人と鯨との関係に加え、点が線になるように、地域をまたぐつながりを実感していった。悠久の昔から人々が海を介して交流していただけでない。大海原を回遊し人に恵みを与えてくれる、鯨という大きな存在への畏敬の念が共通する。顎骨は、人と自然を媒介するアニミスティックな役割を担ったのだろう。3点のドローイングは、是恒が拠点とする苫小牧で、かつてあった顎骨の門の記憶を地元の方に聞き描いたものである。後日話者に見せ、間違いを赤で直し完成させている。是恒が言葉をイメージへと変換し、本人がそれを見ることで記憶がより鮮明化されるプロセスが記されている。
 鯨の顎骨は、私たちを暗い部屋へと誘う。顎骨のかたちの光る刺繍は実物をトレースしたもので、6000年前のものという。* 手前にある2点の小さな刺繍の一つは、豊漁の象徴とされた鯨やそれと寄り添う稲荷信仰が、苫小牧やせたな町の伝承を元に施されている。もう一つは、立てられた1本の顎骨が地上、もう1本が海中にあることで、海面を隔てた世界が俯瞰されている。いずれの刺繍も鯨の目のかたちをしており、鯨からの「潜る眸」を想像的に描いたといえるだろう。
 窓のある部屋は、天井から床に渡された布の刺繍作品と映像で構成されている。前者は「ありふれたくじら」の初期、対して《saudade》**と題された後者は、コロナ禍の昨年制作されたものである。映像は、故郷の呉市・倉橋島や日系移民のサンパウロの親戚の訪問など、是恒のパーソナルな面から綴られた映像と散文詩の朗読で構成されている。幼少の記憶、呉市街とつなぐ2つのルート(橋と渡し船)、叔母のブラジル土産の瑪瑙(めのう)などにあらためて向き合う中で、自身や親族の歴史から、人やさまざまなものの旅や移動が呼び起こされる。10代で島を離れ、国内外の土地に移り住んできた是恒。アーティストとしての移動も多い。異なる空間や時間をめぐる移動や旅は、彼女にとって人生と同義語であるだろう。原体験や来歴を俯瞰しつつ愛おしむ本作は、個人の記憶の海からの「潜る眸」となっている。
 《saudade》と対照を成すのが、奥の空間の映像で、深海探査船からの海中カメラという「潜る眸」による。2021年夏の2日間、海洋研究開発機構(JAMSTEC)の深海探査船に是恒が乗船し駿河湾で行なったプロジェクトで、水深による光量変化と見える色の変化を捉えるため、多色で描いた陶板を光が届く水深200mから海面まで撮影した。陶板に加え、採取された泥や水も展示されている。捕鯨船の船底が赤い理由は鯨が寄りつくように、という話を聞いた是恒は、海中での赤色(光の状況によるだろう)や鯨の目を通した見えを想像したという。是恒はまた、夜に海面近くまで上がり捕食する深海生物のことを知り、いずれは死に海底の泥となる存在と土を素材とする陶器とを関係づけている。
 鯨に一種呼び寄せられ旅をしてきた是恒。鯨の移動、鯨を追う人々の移動、各地の文化や信仰、人々のネットワーク、鯨骨生物群集…いずれも鯨の旅であり、是恒の旅でもある。各地で見聞きしたものを手作業による作品やリトルプレスに変換するプロセスも、展示や作品の流通も、鯨そして是恒の旅である。本展ではそれが個人史、人類史、そして地球史の中で連綿と生起してきたさまざまな旅へと延長されている。ミクロ、マクロスケールの存在から、人間や世界を相対化すること。それは人類学における脱人間中心主義的なパースペクティビズムとも共振する。

 本展で是恒は、自然と社会が絡まり合う生態系の、より深層へ分け入った。

四方幸子(キュレーター/批評家)

*苫小牧市美術博物館所蔵。3月13日まで同館で開催中の企画展の是恒の展示で、実物が展示されている。同じ顎骨のトレースは、2月2日まで500m美術館の「せんと、らせんと、」展の是恒の展示でも刺繍作品として展示。同じ顎骨が、各地で変奏されている。

**「サウダージ(saudade)」(ポルトガル語)は、「郷愁」を意味しながらも、訳しきれないニュアンスをもつという。

 

 

Photo 佐藤祐治

 

海水浴場まで歩いて7分という瀬戸内海の島の家で育った私は、子どもの頃をふりかえると、何よりも海の中の出来事ばかりを思い出す。砂の上を逃げまわる小魚、ふわふわと漂う紅や緑の海藻。裸の肌にぶつかるたび、どきりとしたミズクラゲ。照りつける日差しは海の中で菱形や三角形の光の断片になって瞬いた。息が続く限り、あの海の中を眺めていたかった。

陸上で見えるものと海の中で見えるものは違うーー幼い頃、当たり前のように知っていたそのことを久々に思い出したのは、鯨の話を尋ねて歩いていた時だ。捕鯨船の船底が赤いのは、鯨が寄り付く色だからだと捕鯨船に乗っていた人に聞いたことがある。陸に揚げられた船の鮮やかな赤い塗装を思い浮かべた。あの色は、海の中ではどのように見えるのだろう?

2021年の7月、駿河湾で深海調査研究船「かいれい」と無人探査機「かいこう」の航海に参加した。国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC)の50周年記念企画として、さまざまな活動をおこなうアーティスト、デザイナーが乗船した。深海に向かう探査機が映し出したマリンスノーの様子は忘れがたい。生物の死骸だけでなく、粘液や体の一部などが混じり合い織りなす光景。生も死も、同じ水の中で分つことのできない連なりなのだと感じた。この航海で、私はさまざまな色に着色した数枚の陶板を沈めた。赤も黄も緑も、深度と共に深い青にまぎれていった。

光の届かない、はるか深い海のどこかでは、死んだ鯨が海底に沈み、その体をめがけてさまざまな生き物が集まってくる。肉を、骨を食べて育つ生き物たち。やがて鯨のまわりには、ひとつの生態系が発生する。一頭の鯨の死が無数の生に置き換わっていく。鯨骨生物群集という現象 だ。人が語る鯨の物語も、どこかその深海の出来事に似ているのかもしれない。鯨と出会った人たちが想像したこと、語り継いできたこと。それは日々、新しいイメージに紡ぎ直されていく。
浅瀬から深海まで、潜る眸がみたものを、辿る。

是恒さくら

是恒さくら
「1986年広島県生まれ。2010年アラスカ大学フェアバンクス校卒業。2017年東北芸術工科大学大学院修士課程修了。2021年より北海道苫小牧市在住。国内外各地の捕鯨、漁労、海の民俗文化を尋ね、リトルプレスや刺繍、造形作品として発表する。リトルプレス『ありふれたくじら』主宰。最近の展示に「開館20周年展 ナラティブの修復」(せんだいメディアテーク、2021)、「NITTAN ART FILE 4:土地の記憶~結晶化する表象」(苫小牧市美術博物館、2022)、「VOCA展2022」(上野の森美術館、2022)他。https://www.sakurakoretsune.com/」