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Exhibition

藤木正則 個展 もうひとつの「都市と自然」 “CITY AND NATURE”SEEING FROM ANOTHER DIRECTION

会期  2014年7月12日〜8月2日
休館日  日曜
時間  13:00〜23:00
会場  CAI02 札幌市中央区大通西5 昭和ビルB2
オープニングパーティー  7月12日(土)19:00〜

藤木正則 個展
もうひとつの「都市と自然」 “CITY AND NATURE”SEEING FROM ANOTHER DIRECTION


この度、CAI02では札幌国際芸術祭2014 500m美術館出品アーティスト藤木正則氏の個展を開催します。
藤木氏は、1970年代後半からこれまで、現代社会の見えない力にコントロールされた事象の仕組みを明らかにしながら、その仕組み全体を問いただすことを意図して、主に街中で行為性の強い作品を展開する表現者(抵抗者)です。
今回は札幌国際芸術祭のテーマに呼応し「もうひとつの都市と自然」を展開します。

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6月中旬、今から30年近く前に制作した「対話のための青い柱材(太さ15cm長さ3m30cm)と椅子」を車に積み、札幌大谷大学美術科のO君とM君を伴って、ほぼ10年ぶりに稚内に向かった。

途中、記憶を辿りながら横道に逸れ、行き止まりの道を人家のなくなるところまで走った。その間、雪の重みに崩壊した離農家屋跡や校門だけが残る学校跡など、ほぼ自然に還りつつある拓殖の現場で椅子や柱材を車から降ろし、数分間椅子に座り、それら周囲の音に耳を澄ましてみた。

幌延では日本原子力研究機構の深地層研究センターを目指した。ここでは最近新たに高レベル放射性廃棄物の「回収可能性」を探る研究を開始する方針を示した。当初の約束では掘った坑道は研究終了後埋め戻す取り決めになっていたのだが、行ってみて驚く現状があった。そこには「ゆめ地創館」なる原子力PRセンターの巨大な建物が原子力施設立地推進調査委託費によって建設され、牧草地の真っただ中に鎮座していたからだ。

稚内では北海道同様にかつて拓殖地であった樺太を望む宗谷海峡や、稚泊航路の連絡船が停泊した北埠頭(当時の面影を残す北防波堤ドーム)を尋ねた。そして日本のTPP参加で一番打撃を受ける可能性が高い北海道の酪農だが、宗谷丘陵に広がる宗谷岬牧場には約1000頭の黒毛和牛種が放牧されている。広大な牧草地は長年化学肥料の使用をやめ堆肥のみで無化学肥料による牧草生産体制を確立している。だから、ここの牛達は哺乳牛時代から牧草地の乾草の自由採食を行っている。僕たちは、そんな牧草地で海からの潮風を体感した。ここもTPP参加後はどうなるのだろう。市内を車で走っていて10年ほど前には、あれほど頻繁に見かけたロシア漁船の船員達をとうとう見かけることはなかった。2008年以降、資源枯渇のためロシアからの活カニ輸入量は半減以下になっているという。

帰路は日本海側のオロロンラインを南下した。羽幌炭礦の一つ築別坑跡を見たいと考えたからだ。232号線の築別地区への入り口はうっかりすると見過ごしてしまうほどだった。僕たちも一度通り過ぎてしまった。1970年に閉山した当時、1万人近くいたヤマの人口は現在では50人(昭和45年4月から9月の5ヶ月間に、ほぼ今の人口に急減した)にも満たない典型的な廃墟地帯でもある。民営の羽幌炭礦鉃道(閉山とともに廃止)の現在の姿も気になっていた。蝦夷梅雨が続く中、築別地区の道路は閉鎖になっているところも多く、45年の歳月を経て炭住街はすでに周囲の山々の緑に埋もれてしまっていた。その典型と言えるのが、この地区の一番奥に佇む4階建てのアパート4棟であった。建物より高い樹木がこれらを囲み、ジャングル化していた。ここではどう対話すべきなのか、半世紀にも満たない時の流れが無惨な姿を晒す。

いくつかの場所で椅子と柱材を降ろしてみた。円形体育館が特徴的な太陽小学校跡は大きな学校で、この地に多くの子どもがいたことがよくわかる施設跡でもある。鉃道の痕跡は河川に残るいくつかの橋梁とわずかに周囲より高くなっている線路跡だけであった。労使関係の悪化が引き金になったとも言われる日本のエネルギー政策変換は合理化、機械化によって優良炭を産出していた築別坑、上羽幌坑、羽幌坑の羽幌炭礦をも飲込んでいった。

道北、特に旭川以北は何かの用事がないと道民もあまり足を向けない。しかし、そこには希望と挫折の痕跡が生活と連なる風景として今も残っている。今日では内地からみると拓殖北海道の歴史は日本の近代化を「担ってきた」と位置づけられているようだが、果たして、この表現でよいのかという疑問を投げかけるのが、北海道では特にこの地域だろう。見捨てられた拓殖の痕跡に触れると、それは「担わされてきた」という表現がより相応しいように思わざるを得ない。

そして、それ以上に道北の冬は厳しい。人間中心の自然観や人の営為を常にはねのけようとしているかのようだ。次の週、稚内と同様に「対話のための青い柱材と椅子」を車に積み札幌へと向かった。・・・・・・・・・(つづく)

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